11月28日(金)

 本日、「カナダの童貞を応援する基金」の残高照会をしたんですが、まだ一銭も入金がありませんでした。

11月27日(木)

んにちは。ここ最近のメールやり取りで使用頻度の一番高い単語は「欲情」だったスクープコラム鬼編集長31歳です。

 テレビ東京にてお昼絶賛放送中、杉良太郎主演「同心暁蘭之助」が面白くて毎日録画しております。本日もゴールデンタイムに、一人、杉良太郎の殺陣にしびれつつビデオを鑑賞していたところ、なにかの拍子に、違和感を覚えました。今まで存在さえ意識していなかったものに突然違和感を。それは、短時間に同じ文字を沢山書いたり見過ぎた場合、その文字が「ほんとうにこれで間違いのかな」となぜかしら自分の記憶が怪しく思える奇妙な感覚に、やや似ております。
 「ちょんまげ」にです。



 私も日本人の端くれですので、子供の頃から時代劇中、ちょんまげを何の違和感もなしに見過ごしてまいりましたが、今日という今日からは、あれを容易には理解しがたい一つの記号であると認識を改めました。今、とてつもなく新鮮に見えます。ちょっと常識じゃ考えられない髪型です。と同時に異様と一言で片付けられないひらめきも感じます。過去に一種のブレイクスルーが日本人に起こったに違いありません。現代人の感覚からすると、少なくとも良識のある大人のする髪型ではない筈ですが、あれを善しとし、鼻高々で、皆、まげを結っていた時代が日本にはあったのです。
 時代劇中でも数々の場面にて、どんなに大まじめな顔で演じられてはいても、頭上には常にちょんまげが乗り続けておりました。「お奉行!」と問いつめちょんまげ、密談中ちょんまげ、殺生もちょんまげで、最後はちょんまげで沙汰を言い渡す。見るもの全てに疑問を投げかけるアナーキーな存在。「本当に・おまえは・これに・違和感を・かんじないのか?」「これに・疑問を・感じる・お前とは.誰なのだ?」レーゾンデートルを突き付ける哲学的存在。またちょんまげは、実は、あのだらりとした真ん中の黒い棒のようなものの太さで、その男性の持つ自身のサイズを密かに告知するシステムだったのではないかと、見るもの猜疑心を刺激してやまない。
 同時に「ちょんまげ」は、なんともおかしみに溢れた愛すべき語感をも持つ。試しに頭の中で、語尾にすべて「ちょんまげ」をつけてみた。「明日のプレゼンは絶対負けられないでちょんまげ」「ご遺族の方にはまことに申し訳なかったでちょんまげ」。軽い後悔のあと、昔の安い忍者ギャグ漫画をとにかく二度と読みたくない気持ちに至ります。その気持ちのままで「ちょんまげ」を見つめていたら、円谷プロは「ちょんまげ」をヒントにウルトラマンセブンを製作したのではとのアイディアが頭をかすめるものの確証は浮かばず。
 果たして、あのカリスマのひらめきを感じさせる髪型はどこからきて、どこへ行ってしまったのだろうか。ネットや図書館などで歴史をひも解き、詳しく調べてみれば、いつ頃からああいう髪型が定着し、いつ終わったのか(およそ明治であろうが)を調べることはできるとは思いますが、それはそれとして、私はしばらくこの感覚を楽しませていただきます。


11月26日(水)

んにちは。もし小西真奈美ちゃんに「結婚して」と言われたら、すぐに市役所に行ける準備がある男、スクープコラム鬼編集長31歳です。先日amazonで、ようやく日本発売にこぎ着けた映画DVD”未来世紀ブラジル”を購入いたしました。



razil(邦題「未来世紀ブラジル」)"はテリー・ギリアムによって監督され1985年に上映された。一般には、SFファンタジー作品として、その評価はそこそこの作品であろうと思う。がしかし、内容は決してポピュラーではなく万人が楽しめる映画ではない。映画紹介記事等では「書類の名前違い一つで人間が右往左往してしまう未来社会を描いた風刺の利いたSFファンタジー作品」として聞こえを良くはしてあるかもしれないが、その実は、相当に趣味の悪い映画だ。
 その世界観をあらわすための緻密な小道具や巨大セットに当時1500万ドルの制作費が投じられたにもかかわらず、この作品は、エンターテインメントの要素が薄く、雰囲気はむしろ、B級な荒々しさや生々しさを感じさせるものがあった。欠陥を中心に描き出された未来社会と、哀しくも翻弄される人間たち。また、気違いじみた人物表現や、テロ、爆発、奇声、ネオン、悪夢などの荒廃色に彩られた演出は、スペクタクルや感動という言葉からも随分と距離を置いたものだった。洗練された要素はほとんどなく、まるでそれを嫌っているかのようでもある。カタルシスの要素をも排したこの作品は、ひたすらに、光の当たらない文明社会の闇をその狂気で描ききっていた。
 初めてビデオでこの作品を見た時、高校生だった私はひどく磨耗したことを覚えている。当時の私にとって、この作品はアクが強すぎて理解できない部分が多すぎたのだ。そして、感覚として理解できなかったのがくやしかった私は、それから、事ある度に何度もレンタルし繰り返しこの作品を見るようになったのだった。
 タイトルからして、ブラジルの何かが描かれているのかと思えば、全くそんなことはなく、監督いわく「堅苦しいタイトルはヒットしないからつけたくなかった、最初にアイディアがひらめいた時に、偶然ラジカセで流れていた曲をタイトルにつけただけ」という。
 この作品の北米公開には、当初、製作のユニヴァーサル側からクレームが付いた。試写の段階で、結末のあまりの救いのなさと、143分という上映時間の長さが問題視されたからである。紆余曲折の末、結局、編集を重ねた本作品が本国での公開が許されたのは、ヨーロッパ公開の85年2月に遥か遅れ、その年の暮れで、12月第2週、クリスマス映画の隙間に上映されたに過ぎなかった。その公開にこぎつけるまでの壮絶な争いは「バトルオブブラジル〜ハリウッドに闘いを挑む」という本にもなったほどだ。
 DVD特典ディスクのメイキングをみたが、出演者たちは「悪夢のような作品」「いまだにわからない」と口を揃える。初期の脚本を担当したストッパードが話すのは監督と喧嘩した話ばかり。特殊効果担当は「楽な撮影などワンシーンもなかった。四日も手間ひまをかけて撮影したシーンは全て編集でカットされた。脚本を読んで、"空を飛ぶ"と書いてあるとうんざりした」と愚痴る。よく見てみたら関わった全ての人間から、作品への好意的なコメントは一つも出ていない。唯一の褒め言葉は、「デ・ニーロの演技は素晴らしかった」と本編には関係のないデ・ニーロ個人へあてたもの(彼自身はメイキングには出演せず)。こうして考えると、映画とは、作品にもよるが、関わった多くの人の心に禍根を残すものでもあるのだと知る。にしても、"Brazil"に関しては、渋い表情を浮かべた人のいかに多いことか。
 ではいったい何がこの作品の魅力だったのか。
 今となっては、その全て、ではなかろうか。劇中に描かれているあらゆるものが、新鮮さとレトロフューチャー(注)への憧憬をもって迎えられるすばらしき世界に映るのだ。継ぎはぎながらも紡がれるストーリ、見るものを圧倒する美術、狂人のような個性の持ったキャラクターたち(見るほうにも想像力を要求する鬼武者など)。テリー・ギリアムが自らの悪夢を再現することに苦心した情熱が伝わる生々しいSF映画、それが今だに笑いと悲しみと共感を誘う。そして、何よりもマイケル・ケイメンの音楽が素晴らしい。
 私にとっては、その魅力を理解するのは自分だけでありたいと思わされる映画、それが映画「未来世紀ブラジル」である。

(注)懐古的未来のこと…70~80年代に人々が想像していた未来の形

Brazil,
where hearts were entertained in June,
We stood beneath an amber moon,
And softly murmured 'Some day soon'
We kissed and clung together,
Then, tomorrow was another day.
The morning found me miles away,
With still a million things to say;
Now, As twilight beams the sky above,
Recalling thrills of our love,
There's one thing I'm certain of,
Return, I will,
To old
Brazil.


11月25日(火)

かみ合いになるくらいじゃなければ、いい作品は作れない」と松本零士が言った。
  たかがこんなちっぽけなホームページを制作・運営しているだけでなにをわかったような、と言われるかもしれないが、これでも私なりに、日々様々に思いを巡らし、葛藤の日々を送っている。「つかみ合い」とはいかないけれども、私の至らなさで、誰かを傷つけたり、もめたりしたことは多々ある。ほんとうに申し訳なかったと猛省し、何度も閉鎖を考え、サイトフォルダを丸ごとゴミ箱に入れたこともあった。迷惑をかけた方々には今でも、頭が上がらない想いで一杯だが、同時に、勉強させてもらった、その失敗をさせてもらって良かった、と思っている。
 2001年夏の開設当初は、私の脳内だけの出来事を綴った極めて自作自演なサイトを貫こうと思っていたのだが、いろいろなアイディアが生まれ、実行するうちに、思いもよらず、いつの間にか、周りの人たちを少しだけ巻き込めるようになったのかもしれない。更新アイディアの多くは、私の思い込みから発した先の見えない迷惑行為であったり、結局は徒労に終わったりすることの方が多かった。それはこれからも繰り返されると思う。確かに、ものづくりの過程は、苦しみ戦う事の方が多いが、基本には伝えたいことがあるという情熱があるからこそ耐えられるのだ。その情熱が続く限り、私は更新し続けてゆきたいと思います。
 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。



11月24日(月)

んばんは。キシリア様に、いい壷が届けられない(注)男、スクープコラム鬼編集長31歳です。
  ところで、今回は、「仮に先日行われた講演の模様より抜粋したら」というスピーチ形式の文章をお送りいたします。「日本妄想講演協会」と名づけてみても通りが良くなるはずもないのですが。

(注) 1stガンダムをよく知っている方にも理解し難い書き出しで申し訳ありません。暗喩ですよ、暗喩。



ういった大勢のみなさんの前で、こんなお話をするもの何なんですが。いや、勿論分かってますよ、それが犯罪だと言うのは。でも特に、階段とかエスカレータとか、そういう場所ですね。前にミニスカートの女性がいると、つい世の男性の皆さんも考えますでしょ。ああ、この状況はチャンスだ。網膜だけでなく、画像としても残しておけたなら。そうだ一度くらいはやってみようかな・・・なんてことを。で、モジモジしながら、ポッケから取り出すわけですよ。携帯電話を。
 ところで最近の携帯電話というのは不思議なもので、アレでしょ、なぜかしらカメラが付いてますでしょ。アレ、いったい何のために付いてるか、皆さんご存じですか?わたくし、あれこそ義務なんだろうと思うんですね。当局が国民ひとりひとりに課したる義務。このカメラで不審者を撮影して通報しなさい、というね。わかりますか?納税に等しい義務。だから私にとっては、昼日中から、マイクロミニだかなんだか、こう極端に短かいスカートを履いてる破廉恥な連中なんて、明らかな不審者以外の何者でもない、ということになりまして、結局は大義として正当化するわけなんですが・・・。あ、いや、話が逸れちゃいましたね。どこまで話しましたっけ?ああ、そうです。おもむろに携帯を出すところまででしたね。
 で、その時、見つかったらどうしよう、と思いますから、ビビリますし、焦りますでしょ。普段、何気なく行う動作も、下心があるとなぜにこうも不自然になるのかと。でも、そんなもんなんですよ。別に焦っても何してもいいんです。ポイントは、それを悟られてはダメだという点ですから。
 それで、まぁ、出した携帯をですね、このように開くわけですよ、さも「おや、メールが来たな、ブルッてるな」というニュアンスでですね。口に出してもいいかも知れないですね、「あ、メール?」なんて言ってね。柳葉敏郎が頬の裏側を舌で押す安い演技をよくしますでしょ、目を潤ませながら。まぁそんな程度の見え透いた演技で問題ないんですよ実際。結局自分を納得させてるだけですから。
 それで、携帯を開いたら、冷静にカメラモードをオンするわけなんですが、そこで、手が震えちゃって、間違って実家からのメールを開けるなんてドジは、正直いただけませんね。一気にテンション落ちますから。あれでしょ、実家の母親が送ってくるメールってのは「畑になすの種をまきましたそちらはげんきですかこちらは寒くなってきました」なんていう、改行と句読点なしのメールだったりするわけでしょ。それを目にしたら、それこそ精神的にジ・エンドですよ。とにかく落ち着いて正確な動作でのカメラ起動を心掛けることですよ。
 でさて、ここでいよいよ、本格的に撮影をしようかという段階ですが、実は、ここで我々は最も重要な問題に直面します。そう、それは、盗撮予防のシャッター音です。日本の携帯電話メーカーはモラル意識が高いですから、シャッター音はミュートできない仕様なんですね。被写体の後ろで、普通にシャッターボタンを押そうものなら「ピコローン!」なんて、絶望的に明るい大きな音が間違いなく出ますよ。そうなったが最後、結局は「お縄」ですから、ここは是が非でも、その消せないシャッター音をなんとか自力でごまかすしかないんですよ。そこで、日本人の苦手とする発想の転換です。いまこそ「頭の体操シリーズ(多湖輝著)」で培った発想力を生かす時なんです。必要は発明の母。つまり、出る音を止められないのであれば・・・出た後消せばいい、を気付くに至るわけなんですね。
 そこで私が使ったのは、スバリ!「咳払い」です!・・・あれ・・・なんですか・・・みなさん、今、揃いも揃って、その、人を小莫迦にしたような笑顔を浮かべていらっしゃいますが・・・では、うかがいますが、果たして皆さんの中に、私の考え出した、その「咳払い」より高度な解決法をお持ちの方はいらっしゃるんですか?その方だけが私を笑うことができる筈なのですがねぇ・・・。ぅおっほん、失礼。えぇ、確かに皆さまの驚きも理解できます。ええ、存じ上げておりますよ。「幼稚で古典的、それに危険過ぎる。それで生還はできるのか?」というご意見もごもっともです。がしかし、それも承知の上です。厳然たる事実として、「咳払い」によるマスキング効果で撮影された写真が、今、私の手もとにはございますです!これは確かなのです!私はその「咳払い」で「ピコローン!」と戦ったのであります!「虎穴に入らずんば虎児を得ず」を私は実践したのです!ま、その実際に撮影した写真は後でお見せするとして、とにかく説明を続けさせていただきます。
 まず、私としては、少なくともシャッターを押す三十秒前に、一度、準備としての小さな「咳払い」をやっておくことをお勧めしたいんですね。それは来るべき「本番」への練習も兼ねてるんですが、同時に、前の被写体に「あ、後ろの人は風邪でも引いているのかしら」とそれとなく思わせられたら、「お縄」の確率を下げることに繋がるからです。こちらとしても、それで安心しますからね。
 でさて、いよいよ、「本番」となるわけですが、撮影の際、最も大切なことは、携帯のスピーカー部分をなるべく親指でふさぐ、ということですね。ふさいだところで、やはり音はもれるんですが、でも多少なりとも違うもんなんです。そして、シャッターを押しながら、同時に大きく「咳払い」をいたします。
 「うおっほんぐごごごごえ(ピコローン!)
 ここで、一番大事なのは、手をしっかりと固定して被写体を逃さないことです。こんな苦労を重ねて撮影したところで、結局手ブレでも起こしたら、もう目もあてられないですよ。
  また、同時にいくら「咳払い」をしたところで、確実に「ピコローン!」はスピーカーを押さえた指の隙間からから漏れてますから、今度はその不安との戦いが始まるわけです。敵は被写体だけではないんです。後ろで垂涎の眼差しを送るハゲサラリーマン、上にいる田嶋陽子(フェミニスト)似のおばちゃん、その誰かが「ちょっとあなた、今何をしたんですか?」と、いつその牙を剥くやも知れませんからね。・・・それはもう極度の不安と緊張に襲われます。例えるなら、宜保愛子に霊視中、中座して逃げ出されたくらいの不安と言いますか・・・。
 とにかくそんな不安から、逃げ出したくても、逃げるわけにもいきませんから、とにかくじっと耐えるわけです。そうやって耐えることで、後で撮影した画像を見た時に、「あードキドキしたな、苦労した甲斐があったな」と、その仕上がりをより多くの趣(おもむき)をもって楽しむことができますから。
 それで、今回そうした苦労を重ねて撮影した一枚がこちらとなるわけです。





 はたして実際にトライしたのかどうか、なんてどうでもいいことです。もう二度としません。出来心とはいえ、私には向いてません。もうビビっちゃってビビっちゃって・・・。
 先日の企画は検討中ですので、刮目はしておくように!



11月23日(日)

昧なまま言葉を使う機会が増えてきている。辞書を引けば、それぞれに詳しく読みや漢字・意味は書いてあるというのに、調べる手間を惜しんでいるのか。同じ読みにも関わらず、その用いる漢字で、意味はまるで違う。「匂い」と「臭い」の違いをはっきりと答えられる人は徐々に減ってきてはいないだろうか。
 テレビの普及以後、日本語は、その変化のスピードが早まったといわれる。十年前では、間違い、不和とされていた言い回しが、今日では日常的に使われている。「全然〜」に続くのは、以前は否定表現「〜ない」とされていたが、最近では「〜大丈夫」など、肯定的な表現が続くようになったりしている。携帯やパソコンの発達で、それまでは手紙を書くような機会のなかった人たちも、日常的にメールを書くようになった。彼等の多くは、口語体、口癖文体で、感情もあらわに言葉を送りあう。それ自体は悪くない。しかし、彼等の意識しない言葉の間違いは、大きな波となり、日本語を荒らし、昔からの愛すべき美しい日本語の形を大きくかえてゆくかもしれない。言葉は変化し続ける生き物であると言われるが、だからといって間違いを間違いと認識もせずにそのまま流されてゆくのは如何なものか。
 日本語には、昔からの、より正しい使い方、適した言い回しがある。皆でそれを理解し尊重することで、言葉の持つ力を引き出したい。普段使い慣れている言葉も突き詰めて考えてみれば、より伝わる表現にかわるに違いない。今回私は、日本語の間違いを意識しないまま使い続けることの危険を皆に広く知らしめようというオヤジ趣味な意向の元、この企画をスタートさせる。
 題して、

です。

 世のうんちくブームに乗り遅れてスタートさせる厚顔無恥な企画でございます。どこらへんが”実践!”なのかも始めてみるまでは見当も付きません。とにかく今日はここまでしか考え付きませんでした。見切り発車もいいとこです。今後更新は途切れがちになるやも知れません。

汝、刮目して待て!

11月21日(金)

 なんでお尻ってのは割れてるんですかね?


11月20日(木)

R武蔵小金井駅構内の一角に、小金井市民文庫という本棚がある。乗客が、読み終わった・読まない本を置き、ほかの誰かが読みたければ、そこから持っていくという本の循環システム。初めて見たときには、なんと素晴らしいシステムなのだろうと思ったが、それが実際に機能しているのかというとそれはかなり怪しい。基本的には、一旦そこにおかれた週刊誌や漫画・新聞・文庫本は、あのハエアナの如き、チェック柄の布の鞄を持つ雑誌収集人に持ち去られるからだ。持ち去られた雑誌類は元締(おそらく吉祥寺周辺だろう)が買い取るのだろう。
  昨日、その小金井文庫の本棚に、ある収集人が本を返している姿を目撃した。おそらく元締に買い取りを拒否された本を律儀にも返しにきたのだろう。彼は、鞄から本を出し置くと、どこかに消えていった。これではまるで、小金井文庫は買い取りさえも拒否される本が流れつく糞本墓場"サルガッソー"ではないか。私は、その悲しき運命の本の姿を見届けようと、確認してみた。もし私が読めるものならば持ち帰ろうと。
 無理だった。


11月19日(水)

くの女性には、なかなか理解をいただけない話だと思うのですが、レンタルビデオ屋のアダルトコーナーには、一種、独特の雰囲気があります 。なんといいますか、それは自他尊重の場というべきでしょうか。例えば、私が、先々週から目を付けていた貸し出し中の女子高生モノの新作があるとします。そして、本日こそは返却済みであろうと、期待に胸躍らせアダルトコーナーに入ったその時、お目当ての一本が置かれているその女子高生コーナーには、先客のサラリーマンのおじさんがいたとします。そんな時、強引に隣に割り込んでみたり、後ろに立ったり、狙った一本を選ばないように念じたり、いろいろとプレッシャー与えるのは、人としての道に外れている行為です。しかし、外れていることを知りながらも、ついついやってしまうのが人間の愚かなところです。例えば電車の優先席で、お年寄りが目の前にいても、狸寝入りをするような事がまかり通っている、現代はそれが当たり前の世の中なのです。しかし、どうでしょうか、実をいいますと、エロビデオコーナーにおける男性諸君は、皆、礼儀正しく、粛々としています。かくいう私も、先客の彼の邪魔にならないように、やや離れめの場所で、しばらくじっと彼が移動するのを待ちます。
 ときに、その彼の選択時間が余りに長い時には、彼の視界の隅っこあたりで、一人こう思ってみます。「おやおや御同輩、本日の夜の宿題は決まりましたかな?」と。するとその気配を察した御同輩は「おやおや、もしかして、今日もクラスメイトがやってきたな。あまり時間をかけるのも失礼だ、そろそろ下校しようか。」なんて気付いて下さる。そんな、きわめて高いレベルでの、以心伝心的行為がごく自然に行われている場所が、レンタルビデオ屋のアダルトコーナーなんです。女性にはちょっと想像もつかない部分もあるかもしれないんだけれど、実は、AVコーナーにいる男性客は、老いも若きも、とてつもなく紳士なのです。確かに、飢えたエロ難民が集う場所には違いないんだけれど、一旦そのコーナーに入るや否や、その空間は奇妙な連帯感に満たされています。確かにガツガツして血眼になってる人もたまには見かけますが、おおかたの男性は、なにか厳しさの中に暖かさを内包した真摯な眼で、ゆっくりとエロビデオを選んでいるのです。今日は、日本に最後に残る美徳の話をしてみました。

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 五木寛之ってこういう感じの文章書くよね、確か・・・。



11月18日(火)

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なさんこんにちは。日本童貞党、党首スクープコラム鬼編集長31歳です。
 わたくしは、今、日本の善良な童貞のみなさんに思いを馳せております!昨今、性体験の若年傾向が進んでいると言われてはおりますが、どちらかといえば性教育の面では後進国であり、いまだ性に秘めたる想いを残す日本の風土が育てる我らが童貞のみなさん!私は、彼等が世界的に見ても昇華された、完全にオリジナルな存在である気がしてならないのです!そうです、我々は、そういった日本の土壌が、現在も童貞達を育て、技術大国を作り上げていることに、誇りを持ち、胸を張るべきであります!
  考えてもみてほしい。いまや日本文化の代表格「アニメ」は、童貞をこじらせたマニア・オタクのみなさんや、その予備軍がしっかりとその屋台骨をしっかりと支えている事で成り立っており、彼らが、宮崎駿のアカデミー賞受賞への滋養を与え、ウシャオスキー兄弟にマトリックスを撮らせた事になんら疑いの余地はありません!
 ところで、最近のマスコミ報道では、援助交際・出会い系サイトの危険性が、盛んにはやし立てられておりますが、正直、あれはどうでしょうか?世間一般の人たちから、内気ととられがちな善良な童貞達にとっては、全くの対岸の火事であります!かれら童貞は、お互いの劣等感や焦燥感をかき立てあう童貞同士の嘘彼女・嘘喪失トークバトルに終始する日常に明け暮れておるわけであります。そんな、童貞諸兄が、遠い星からの怪電波が如き嘘性知識に心奪われ、見事に踊らされるのは、いかに今日のエロを探すか、明日どうにかして女性のおっぱいに触れられないか(*注)、を本当に真摯に考えている何よりの現れであり、そういった彼等のクリエイティブな才能を嘘喪失話、嘘演技だけに決して費やさせることはあってならない!断じてならない!
 え〜本日ご来場の方々の男性の皆様の中には、こんな経験をした方はいらっしゃいませんでしょうか?思春期のある日、一緒にテレビを観ていた母親に、何の影響か、突然「してもいいけど、きちんと(ゴムは)付けなさいよ」「いきなり子供なんて作ってもかあさん知らないよ!」などと言われた、そんな時、あなたは、気が狂ったようにこう叫びはしませんでしたか?「うるせぇよ!糞ばばあ!」。そうです、童貞街道爆進中のあなたの心は、妊娠や性病の心配よりは、一生童貞で終わるのではないかというブルージーさに満たされていた筈です。ナイーブな思春期の少年の不安に、童貞心に理解のない無神経な母の言葉が火をつける結果となってしまったのです・・・。そういった、「怒り」。それは、実は、日本の原動力であると考えて間違ありません!童貞と、無神経な母親の組み合わせが、国力を高めるに違いないのです!
 恥ずかしながら〜、申し上げますが、かくいう私めも、童貞期には、内弁慶様よろしく、「うるせぇ糞ババア、産んでくれなんて頼んだ覚えがねぇ」と、数々の汚い言葉を母に発し、涙を流す母を疎ましくさえ思った時期がございます。当時の私は筒井康隆氏の「優れた作家は優れたオナニスト」という言葉を鵜呑みにし「自慰行為で創造性を育(はぐく)む」をテーマに、ビデオやエロ本に頼らず、創造性を尊重した様々な自家発電的自慰行為におよんでいたのでございます。おかあさん、本当にごめんなさい。・・・(涙、鼻をかむ)失礼。
 え〜話が逸れましたが、つまりは、そういった彼ら、善良な童貞たちのクリエイティブな才能は、嘘彼女話、嘘喪失話、嘘演技だけに、決して費やさせることはあってならないということであります!
 我が、日本童貞党は「童貞」という概念への肯定的な啓蒙活動により、童貞たちの個性を伸ばし、これからの日本に活力を与える所存であります!また、「童貞がコンプレックスを持たずに安心してくらせる社会づくり」!これは非常に重要なテーマです。そのためには、「童貞キモーイ」という世の女性の固定概念を根本から覆す存在が必要であります。その点に関して、我が僚友のGackt君からお話があります!ではGackt君どうぞ!

(*注)「明日どうにかして女性のおっぱいに触れられないか」
より忠実な表現するならば「明日いかにおっぱいを揉む新しい妄想をふくらませるか?」である。日々新鮮なエロアイディアを膨らませはするものの、実際の行為にはなかなか及べないのが、童貞が童貞たるゆえん。彼らを一言であらわすとするならば、「臆病なオポチュニスト」がわたしの持論。


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 この後、Gacktがピアノを弾きはじめるという、こんな夢を見て、自分は本当に莫迦なんだな、とまた思いました。



11月17日(月)

The foundation for Canadian cherry boy

ミネートした世界中の教育番組から、斬新で優れた番組に賞を与え、豊かな教育に役立つ質の高い番組制作を奨励し、世界の教育番組の向上に貢献する日本賞<JAPAN PRIZE>。2003年の外務大臣賞(青少年番組)を受賞したのはカナダ放送協会の製作した「生き方ナビ(第九回)」であった。テーマは「安全なセックス」。避妊のためだけでなく、HIV予防のためにもきちんとコンドームをしましょうという内容。先進国の若者の性事情やエイズ防止の方法をストレートな表現で伝える若者向けの啓蒙情報番組である。
 冒頭で、教師が黒板に「ヴァギナ、ペニス、HIV」と書き散らかすイメージ映像が流れ、続いて、カナダの現役高校生たちの、おセックス討論会の様子が映し出される。サマンサ(凄いブス)という名の女生徒が早速口火を切り「(私もやってるけど)パーティーに行けば、オーラルセックスなんて、今じゃ当たり前になってるわ!」。続いて他の生徒も「(私もやってるけど)パーティーだけじゃないわよ、学校でもどこでも、部屋の隅っこで、してるの。そこら中でね!」とカナダのティーンエイジャーのうらめしいほど恵まれた乱れた性生活を説明。更に「(私もやってるけど)コンドームの感触がいやなら、水性のジェルを中に入れると具合が良いぜ!」等のアイディアも飛び出す。
 この番組が制作された背景には「エイズと診断された女性の45%が15〜29歳、またエイズ患者の半数が20〜24歳の同性愛の男性、一方ほとんどの人が17歳までにセックスを経験する」というカナダ社会の危機的状況がある。そんな性先進国のティーンエイジャーに、コンドームをつけない不用意なセックスの危険性を現実的内容で説くことは、非常にうなずける話だ。が、まるで童貞が無視されている。カナダの童貞たちはさぞや肩身の狭い思いをしてることだろう。がんばれカナダの童貞達!

○ カナダの童貞達を応援する基金を設置いたします。



一旦ご入金頂いた寄付金については、いっさいご返金には応じられません。また実際に投じられた寄付は、カナダの童貞たちを応援するという私個人の妄想を育むための生活費となります。また口座は個人名義です。以上をご理解頂いた上で、ご協力頂ける方は、お振り込み頂けますようによろしくお願いいたします。


11月16日(日)

んにちは、エミネムです。映画「8マイル」でのラップ対決の是非はともかく、昨晩深夜テレビを観ていたら、藤原ヒロシがで根元はるみ相手にロレックス自慢をしていました。欲にかられた人間は、ああも汚い顔になれるのだと感じました。あと矢野顕子が歌っている時一分おきに見せる、あの表情は非常にアレな感じですね。


11月9日(日)

んにちは。つまらない更新ならしない方がまし、と思っていると、全然更新しなくなり、そのうち仕切り直しのリニューアルを余儀なくされる男、スクープコラム鬼編集長31歳です。
 本日は選挙でしたが、 私、政治には、さほど興味はもっておりません。しかしながら、政見放送だけは、毎度非常に楽しく拝見させていただいております。今回の自由民主党の政見放送ですが、火消しの「組」のイメージで演出されているのが、まるでヤクザそのものに見え(下記GOをクリック)、「これにどういう意図が・・・」と大変戸惑いを覚えました。ちなみにその千葉県選挙区での勝率は13人中5人とのことです。



11月8日(土)

んにちは。財布を忘れたまま回数券で電車に乗ってしまい、精算時にそのことに気が付き、駅員にありのままを説明したところ「何でもいいから早く通れよ」との扱いをアゴで受け、はらわたが煮えくり返った男、スクープコラム鬼編集長31歳です。本日は初秋の出来事を一つ。

 秋晴れの下、吉祥寺の外れの人気(ひとけ)のない公園のベンチに座り、私は一人、おいなりさんを食べていた。すると、その公園に二十代半ばと思われる二人組の女があらわれ、片方が相方をカメラで撮影し始めた。被写体の女は、カメラを持つ女の指示にさまざまなポーズで応じている。撮影は、よく若い女性同士があげるような嬉声ひとつなしに、淡々と行なわれていた。いったい何をしているのか。興味を引かれた私は、その二人からは距離にして10Mほど離れていたが、なんとか彼女らの会話を聞けないものかと意識を集中した。その結果、私の耳は断片的な会話を捉えた。
「サービスショットもないとね・・・」
「・・・ればアクセス数が・・・」
「レタッチにも限度が・・・」
  聞き耳を立て、最後のおいなりさんを頬張りながら、突然に、私は思った。
  人間は「死」から逃れることはできない。産道を通りこの世に生を受けたときから、死へのカウントダウンは始まる。唯一「死」の前では、人間は平等であるということができる。人生とは、死と隣り合わせの旅のようでもある。人は、皆、終着駅「死」へ向かう列車に乗った旅人なのだ。終着駅にたどり着くまでに、我々は様々な駅を通り過ぎる。ルートに一つとして同じものはない。人の数だけ路線が存在しているようなものか。だとすれば、私は今、どの路線のどこの駅にいるのか。この旅はあとどのくらい残されているのか。果たして、これからどんな人生を歩むのか。そこにどんな希望があり、そしてどんな絶望があるのだろうか。やがて心は、漠然と襲ってくる将来や老いに対する不安になす術なく暗澹たる気持ちに満たされてゆく。足音もなく忍び寄る死の影が、人生に彷徨する私に恐怖を植え付けたのかもしれなかった。
  気付くと彼女らは、撮影しながら、徐々にこちらに近寄って来ていた。
「・・・じゃ、歩いてみて・・・うんうんいいよ。そうそう・・・笑顔で谷間だよ、笑顔で谷間、そうそう、いいよ。パンチラは?パンチラはだめ?あ、そう。じゃあ、も一回谷間ショットいい。うん、そうそう、は、笑顔、笑顔、はい、はい。いいよー。」
 私はついに解った。 ああ、ありゃ、露出度アップ路線へ変更中のネットアイドルの撮影だ。


11月7日(金)

んにちは。デボン青木・ビューティー説に異を唱え続ける男、スクープコラム鬼編集長31歳でございます。本日は久々の新企画を発表いたします。一度聞いたら二度と忘れられない、英単語暗記の全く新しいスタイルを提唱させていただこうと思います。
  諸君、口を慎みたまえ!忙しさは免罪符にはならんのですよ!本日から開講する英単語指南で勉学に励むように!



下鉄の長いエスカレータに乗っている途中、私は何の気は無しに屁をこいた。すかしっ屁であった。瞬間、「もしや!」と思ったが、時、既に遅し。運の悪いことに、私のお尻の位置には、真後ろに乗っていた見ず知らずのOLの顔があったはずである。さすがにすぐに振り返るわけにもゆかず、かといって、列を外れ、逃げるように歩いて登り始めるのもどうかと迷った。絶対に気付かれてはいるが、はたして、すぐに後ろを向いて陳謝すべき類いの行為だったのか、我ながら判断がつきかねる。謝るにせよ、そもそも何と切り出せばと言えば良いのだろうか。確かに首筋や背中が女性の非難めいた視線にさらされているような気もする。例えば私が、Mr.ビーン(ローワン・アトキンソン演)であるならば、何としても前にいるおっさんのせいにしようと奇行・奮闘するのだろうが、現実に、そんな行動は論外である。
 そして私は思い出した。人は時に、惑い、耐え忍ぶことも大切であると、それが人生に深みと喜びを与える、そしてその惑いからの中から本当の「アート」が生まれてくる、と五木寛之先生が著書(注)でおっしゃっていた事を。だから、私は一人、惑い、耐えた。誤って顔面に屁をひってしまった女性を真後ろに従え、じっと耐えた。
 でも、こんなこじつけ、浅はか過ぎて、涙が出てきたよ。こんなの全然「アート」じゃないよ。ただの「ファート」だよ。

fart

━━ n., vi. 〔俗〕
放屁(する); いやなやつ


(注)角川文庫・五木寛之「生きるヒント」2章「惑う」より
■今日も実体験に基づいております。すみません。



本日もこんなところでご勘弁を。良い週末をお過ごし下さい。



11月3日(月)

祥寺BOOK OFFで養老孟司の「バカの壁」をどうしても見つけられなかった。飯島愛先生の「プラトニックセックス」文庫本は百円で購入。読後感想があればまた書き留めます。

  最近私生活が、どんどん孤独になってきているような気がしていますが、それは自業自得なのか。しかしそれも、キシリア様へ、あの「いい壷」が届きさえすれば・・・。(マ・クベ)


11月1日(土)

んにちは。「反省文の後の更新は、考え過ぎで必ず滞る」でお馴染みのスクープコラム鬼編集長です。
 浜崎あゆみがホストを務めるトーク番組「ayu ready?」 に若手の女性お笑いコンビ「北陽」がレギュラー出演している。あゆ様の存在をそれなりに引き立る容姿、配慮の効いたお笑いトークのできる若手芸人の起用法として細心の注意が払われたすばらしい人選。訊かれてもいないのに自分の話ばかりのあゆ女王様トークを見事に中和することに成功している。
 ところで、よく自分自身の話しかしない人の口癖として、「○○さん、知ってる?」という話の切り出し方がある。内容をいう前から「知ってる?」と訊かれても答えようがないので、「え?なんですか?」となるわけだが、度重なると非常に腹立たしい言い回しに思えてくる。内容があるのなら先に話すのが筋だろうに。そんな相手と、どうしても話さなければならないとき「この人は可哀想な人なのだ、そういう病気の人なのだ」と私は思うようにしている。
  先日もそんな病気の人が家に遊びに来た。できることなら玄関だけで手短に話を済ませたかったのだが、拠ん所のない事情で部屋へ招き入れることとなった。とたん、彼の靴下から嗅いだことのないほど激しいアンモニア臭が発せられた。予想に反する部分からの攻撃にすっかり参ってしまった私。同時に彼の口からは「○○さん、知ってる?おれさぁ〜、」といつもの口撃もスタート。しかし、あまりの強烈な刺激に気をとられたのか、その時、いつもの彼の言い回しは不思議と苦にはならなかった。そして私は刺激臭に耐えながら、苦し紛れにこう考えた。「そうか、これは彼の良くない口癖に、人が注意を向けないようにするため、神が与えた賜うたもう一つのギフトなのだ、なるほど天は二物を与える」。
  人間の頭は、複数の苦しみが現れると、きつい方を優先して打ち消そうとする力を秘めているのだと、自らの妄想力を以って知った出来事だった。

本日の一期一筆

■この習字は「Mac絵手紙」で作成したものです。フリーとは思えないほど素晴らしいソフトです。タブレットなどは買わず、あまり練習もせず、このレベルのタッチを今後も維持しようと勉めます。
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参考*
Mac絵手紙は毛筆手紙作成ソフトです。
毛筆で書いた手紙をJPEG画像としてメールに添付、送信することができます。
電子メールでは相手に気持ちが伝わらないとお嘆きの貴兄に最適です。
有限会社グーゴールプレックス
http://www.googolplex.co.jp





10月29日(水)

ニューアル後の更新に関して、後輩Oより忠言を頂戴した。
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面白いんだけどさ、新しくはないかな。
まあ僕とか親しい間柄でよく知ってるから、そう思うのかもしれないが。
君の次のステージが見たい。
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  サイト再編にあたり過去の自分のテキストを読み直したが、稚拙さや距離感のズレはあるものの、アイディアを捻り出す苦しさから滲み出た、ある種の鬼迫を感じた。今の私が忘れかけていたのは、まさしくそれである。いつのまにか、惰性で更新を進めてしまい自分のハードルを低くしてしまっていたに違いない。文章というものは、ある程度書きなれてしまえば、小手先のテクニックが身に付き、内容はどうであれ、体裁を整えただけの内容のない安易なものが書けてしまうものである。しかし問題はオリジナリティーがあるかどうかである。私は猛省を促された。 既成の自らのスタイルを壊すことだけが、唯一、自分を前進させうるのだ。
  私は、新たなるステージの面白さを求めるべく、改めて邁進せん、と決意を新たにオリジナルなリアリズムに基づくテキスト作りを目指します。


10月28日(火)

チベーションは高いのですが、どうにも面白い話が浮かびません。

■私の考えた路上詩人すごろく
  • 「相田みつを」崇拝者から返り討ちに遭う
    → 5マス戻る
  • 326に騙され、バンド結成
    →14マス戻る
  • 糸井重里事務所に入社、自分のコピーを盗まれる
    →8マス進む
  • 刺繍入りぼろ切れをまとっていたら、外人デザイナーの目に留り、パリコレデビュー。大塚寧々と結婚できるも、離婚。過去の恥ずかしい詩集をブックオフで10円で見つける
    →3マス戻る
  • NHK教育真剣十代しゃべり場に出演
    →500マス戻る
  • リストラに遭い、路上でホームレス生活、フジテレビ「ザ・ノンフィクション」に出演
    →アガリ

 今日はこれで許して下さい。

10月25日(土)

月もかかってしまいましたが、な んとかデザインを変更しました。そして、相変わらずの垢抜けない雰囲気を払拭することは出来ず、気まずいままながらも、堂々と更新を再開させていただこうと思います。
  今回のサイトリニューアルに関しては、実は、紆余曲折がございました。九月初旬、私は、このサイトにおいて独自の個性的なキャラクターを作り、市場600億円を築き上げたいと思い描いたのでございます。そして、その呼びかけに応えてくれたデザイナーE氏・後輩Oの三人は、全くのオリジナルキャラクターを作ろうと、プロジェクトを興し、打ち合わせを重ね、十月初旬には、ほぼ完成の段階まで仕上げていたのです。そして十月の某日、E氏宅での仕上げ作業を終え帰宅した私は衝撃を受けました。最終作業中、わたくしめの口にした「かえる様の方が大変だった」という不用意にも程がある発言に対し、怒り狂われたE氏は、打ち合わせ用のBBSにて「かえる様ごときと一緒にするな!志が低い連中とはもう仕事ができない!」との捨て台詞を書き残し、去ってしまわれたのです。 そうです、全ては私の力不足・思慮不足によるものでございました。そうして、必死の作業中ほとんどソファーで居眠りをしていた後輩Oにも、その激昂の責任の一端は果たしてあったのではなかろうか?という私の疑問もはらせぬままに、怒り去ってしまわれたE氏に向けて、そのBBSに、私と後輩Oが書いた許しを請うメッセージにもレスが付くことはなく、二週間近くになろうとしております。
  今回のリニューアルは、そういった遺恨を残す雰囲気を感じさせる部分に関してだけは、非常に自分らしいと、まことに気に入っております・・・。いうなれば「遺恨index.html」です。人間はそういったドラマを背中にしょいながら、またひとつ.htmlにタグを刻むものなのだと秋の夜長に一人実感いたしております。びゅう

追伸:デザイナーEさん。もしこれを読んで、もうお怒りでない、または、怒りが収まったという場合には、メールにて一言「ゆるす」と書いてお出し願えませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

今日のことば
みなさんのピースな愛のヴァイブスでポジティブな感じで書類送検